なかなか、捨てられないのです。
何かになる、何かに使える。
そう思うと、いろいろ残してしまい、狭い我が家は、部品や素材で溢れてくる。
形あるものを捨てる罪悪感か、只々貧乏性か。
数カ月前、近所の家が壊されました。
藁や竹で作られた土壁が重機で潰され、土煙りの中、太い梁が長過ぎたのでしょう。大きな音をたてて、チェーンソーで切られてました。
その切り口から綺麗な木目が見えて、ただ捨てられるのかと思うと、胸が締め付けられる思いでした。
トラックに無造作に積まれ……
消えて行きました。
そして、更地になった土地に、あっという間に新しい家が建ちました。
今あるものを何とか利用してと、考えてきた時代は終わったのでしょうか?
再生するとコストがかかるので、新しく作り、どんどん消費する経済社会になってしまった。再生出来る資源を自然に戻すまで、使い切る事が大切なはずなのに。
何か変です。
今、新型コロナウィルスが、急速に世界を変えています。
どう変わるかは、分からない。
分からないから、怖いです。怖いけど、逃げられません。
終わりの見えない不安の中で、あらためて心に刻む事があります。
価値観が問われている今、人間が決して地球のトップでない事に気付き、自然に対する畏敬の念を忘れず謙虚になる事。
情報を見極める力をつけて、冷静に判断する事。
どれも、言われ続けてきたのに、自分の物にしていませんでした。
今、私が試されています。
桜の美しいこの時期、遠くの山道を走りました。誰もいないダムの湖畔でお花見です。
先日摘んだ土筆の佃煮を混ぜたご飯に、自家製味噌で作ったふきのとう味噌を入れた、おにぎりを持って。
今年の春一番の豊かな時間を持ちました。
澄み切った空と、桜。最高に幸せ。
来年も、これからも、変わりなく、こんな幸せが続きますように。
自然の一部である、大切な命を無駄にできません。
収束を祈りながら。
美味しく頂きました。
(ムラカミ)